1950年-1956年

大型リヤエンジンバス「ふそうR1型」(1950年)

 

大量輸送の必要性から三菱が初めて開発したリヤエンジンバスで、全長11m余、定員76人と当時の単体のバスとしては最大のバスでした。100馬力の ディーゼルエンジンをリヤに縦に置き、航空機産業から転換した富士産業(現富士重工)がボディを架装したもので、1952年までの間に35両だけ製造されました。京王ではこのバスを幹線に投入し、大量輸送に活躍しました。

ボンネット型路線バス 「いすゞBX95型」(1951年)

 

1948年に登場し、初の大型ディーゼルバスとして多くの実績を残したいすゞBX91型のロングサイズ版がこのBX95型で、定員も増加し、当時の主力車両として活躍しました。そのボンネットスタイルは、全国的に親しまれたものです。バスのボディはこの頃から立席の視界向上を図って上段Hゴム固定窓が主流になりました。「バス窓」と呼ぶ人も多かったようです。

ボンネット型観光バス 「ふそうB24型」(1951年)

 

世の中が落ち着きを見せ始めた1951年に、京王は観光貸切バスの営業を開始しました。そのとき導入されたのがこのB24型3両です。B24型はふそ う大型ディーゼルバスB2シリーズで最も大きい全長10mクラスで130馬力のエンジンを搭載、長距離旅行向けにロマンスシートを装備して全国を走りました。ボディのフロント部分は観光用に特別仕様で造られています。

アンダーフロアエンジンバス 「日野BD10型」(1954年)

 

1950年代半ばにボンネットバスより客室スペースを拡大できる箱型バスが開発される中で、日野は横型のエンジンを中央床下に配置したセンターアンダーフロアエンジンバスを開発しました。室内長は当時最大を誇り、エアブレーキを採用していました。このバスは富士重工ボディで、路線バス仕様ながら、当時最先端の観光バスタイプの引違い窓としたデラックス車です。

リヤエンジン型観光バス 「ふそうR21型」(1954年)

 

観光バスを増強したとき採用されたのが三菱のリヤエンジンバスR2シリーズでした。130馬力のエンジンを後部に横置きにした10~11mクラスの大型 バスで、ボディは新三菱重工が製造、窓の下隅にカーブがついているのと、最後部は風取口のため窓ではなくルーバーになっているのが外見の特徴です。このころから観光バスも大型でスマートになり、高性能になっていきました。

2サイクルUDエンジンバス 「民生B80型」(1956年)

 

1955年から、民生はのちに日産ディーゼルのブランドともなった2サイクルUDエンジンをバスに搭載しました。まもなく日産との連携が強まり、日産のディーゼルバスにも民生がUDエンジンを供給するようになって、よく似たボンネットスタイルになります。やがて1960年代に民生は日産ディーゼルとなって日産グループの一員となり、日産はバス製造を中止しています。